三国志における英雄たちの中でも、若くして華々しい活躍を遂げた人物として知られるのが、呉の基礎を築いた孫策(そんさく)です。字(あざな)を伯符(はくふ)といい、彼の生涯は短かったものの、その鮮烈な行動力とカリスマ性は後の時代にも大きな影響を与えました。今回はその孫策伯符の生涯に焦点を当て、その魅力に迫ります。
1.孫策の出自と家系
孫策は西暦175年、江東(現在の中国・江蘇省あたり)に生まれました。父は孫堅(そんけん)。後漢末期の群雄割拠の時代、洛陽から玉璽(ぎょくじ)を発見したことでも知られる勇将です。孫策はその長男として、若い頃から武芸や学問に優れ、人々の注目を集めていました。
しかし、父・孫堅は早くに戦死してしまいます。このとき孫策はまだ十代で、家の名声や兵力を失いかけていましたが、持ち前の才覚と人望で再起を図ります。
2.江東制覇への道
孫策が本格的に歴史の表舞台に登場するのは、袁術(えんじゅつ)のもとで兵を借りたあたりからです。当時、袁術のもとには父の旧部下たちも集まっており、孫策は彼らを巧みにまとめあげていきます。
特筆すべきは、その戦術眼と人材登用の妙です。周瑜(しゅうゆ)、張昭(ちょうしょう)、程普(ていふ)など、のちの呉を支える名将たちがこの時期に孫策のもとに集います。孫策は彼らの能力を存分に発揮させながら、わずか数年で江東一帯を平定。わずか24歳にして一国の支配者となったのです。
この時期の孫策は、「江東の小覇王(しょうはおう)」と呼ばれ、若きカリスマとして敵味方問わず一目置かれる存在でした。彼の指導力と武勇は、あの曹操さえも「もし孫策が長生きしていたら、中原の覇権を争うのは難しかった」と評したほどです。
3.早すぎた死とその後
しかし、順風満帆に見えた孫策の人生にも影が差します。200年、暗殺未遂事件により致命傷を負い、26歳の若さでこの世を去ります。彼の死は呉の将来に大きな不安をもたらしましたが、孫策は弟の孫権(そんけん)に政権を託します。
孫策は臨終の際、「兄弟で支え合えば、天下も夢ではない」と語ったと伝えられます。この言葉通り、弟・孫権は兄の遺志を継ぎ、呉を建国。三国の一角として大きく成長する礎を築いたのです。
4.孫策の魅力とは?
孫策の最大の魅力は、「人を惹きつける力」にあったと言えるでしょう。彼の下には、多くの人材が自らの意思で集まりました。その人柄や明晰な判断力、そして果敢な行動は、まさにリーダーの鑑です。
また、無謀に見える戦も巧みに勝ち抜き、自らの手で領土を広げたその姿は、信長やナポレオンと比較されることすらあります。短命ではありましたが、彼の人生はきわめて濃密であり、その影響力は後の時代まで続いたのです。
最後に
孫策伯符は、まさに“燃え盛る流星”のような存在でした。短い生涯ながら、彼が遺した功績は大きく、弟・孫権を中心とする呉の建国へとつながっていきます。もし彼が長生きしていたら、三国志の勢力図は大きく変わっていたかもしれません。
現代に生きる私たちにとっても、孫策のように若さと情熱で突き進む姿勢は、多くの示唆を与えてくれるはずです。歴史の中で埋もれがちな若き英雄に、今一度光を当ててみるのも良いのではないでしょうか。