明治時代、日本は急速な近代化の波に飲み込まれていました。そんな時代に、遠くアメリカから一人の教育者が北海道へと渡り、日本の若者たちに大きな影響を与えました。その人物こそ、北海道大学の前身・札幌農学校の初代教頭として知られるウィリアム・スミス・クラーク博士です。彼の残した言葉「Boys, be ambitious(青年よ、大志を抱け)」は、150年近く経った今でも日本人の心を動かし続けています。
1.アメリカから北海道へ
クラーク博士は1826年、アメリカ・マサチューセッツ州に生まれました。彼は農学や化学の分野で優れた研究者であり、教育者としても高い評価を受けていました。明治政府は北海道の開拓と農業発展のため、彼を札幌農学校の教頭として招聘します。1876年、クラーク博士はわずか8カ月という短い任期ながら、北海道に新しい教育理念と農業技術をもたらしました。
2.信頼と自主性を重んじた教育
クラーク博士の教育方針は、当時の日本では非常に斬新でした。単なる知識の詰め込みではなく、学生の自主性を尊重し、人格形成を重視しました。また、キリスト教的倫理観を背景に、誠実さや努力の大切さを説きました。学生たちは彼を心から尊敬し、学問だけでなく生き方そのものを学びました。
3.「Boys, be ambitious」の真意
帰国の途につく際、クラーク博士は学生たちに「Boys, be ambitious」という言葉を残しました。この言葉には「大志を抱け。ただしそれは金や名声のためではなく、人格や学問のためである」という深い意味が込められていました。単なる成功や出世ではなく、人生を通じて高い志を持ち続けることの重要性を説いたのです。
4.北海道と日本への影響
クラーク博士の教えを受けた学生たちは、後に日本の農業・教育・開拓に大きな足跡を残しました。例えば、札幌農学校出身者の多くが北海道の開発や農業指導者となり、日本の近代化を支えました。また、彼の教育理念は北海道大学の精神として今も受け継がれています。
5.現代に生きる「大志」
現代社会は情報と変化のスピードが加速し、短期的な成果が求められがちです。しかし、クラーク博士の「大志を抱け」という言葉は、そんな時代だからこそより価値を増しています。目先の利益ではなく、長期的なビジョンと高い理想を持つことは、今を生きる私たちにも必要な指針です。
最後に
クラーク博士が北海道を去ってからおよそ150年。彼の滞在はわずか8カ月でしたが、その精神は世代を超えて受け継がれています。「Boys, be ambitious」──それは、人生をどう生きるべきかを問いかける永遠のメッセージなのです。